※本来なら「令和天皇」の呼び方は不適切です。しかし、この記事では『令和時代の天皇』という意味で、便宜上「令和天皇」の呼称を用いています。

 

令和時代の天皇に新たに即位された徳仁親王。

 

これからは令和時代の象徴であり続ける徳仁親王は、一体どのような学歴なのか気になっていませんか?

 

皇室の方なので凄い大学に通っていたと想像できますが、実際はどうなんでしょうか?

 

そこでこの記事では『徳仁親王の学歴や出身大学・大学院時代に専攻していた分野』について深堀りしていきます。

 

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令和天皇の学歴や出身大学について

 

徳仁親王は今までに以下記載の学校に通われていました。

 

【徳仁親王が通っていた学校】

1964年4月13日:学習院幼稚園に入園

1966年4月8日:学習院初等科に入学

1972年ごろ:学習院中等科に入学

1975年ごろ:学習院高等科に入学

1978年ごろ:学習院大学に入学

1982年ごろ:学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課程に進学

1983年:オックスフォード大学に留学

 

上記の経歴を見てみると、徳仁親王は幼稚園から大学まで学習院系列の学校に通っていた事がわかります。

 

ちなみに

  • 父親:明仁親王
  • 弟:文仁親王
  • 娘:愛子内親王
  • 姪っ子:眞子内親王、佳子内親王

も徳仁親王と同じ学習院系列の学校に通っていました。

 

このことから大多数の皇族は、学習院系列の学校に通うことが慣例となっていると考えられます。

 

ちなみに甥っ子の悠仁親王はお茶の水女子大学附属の学校に通っています。

 

次の項目では皇族が通う、学習院の歴史について簡単に見ていきましょう。

 

令和天皇が通っていた学習院の歴史について

 

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学習院はもともと幕末の京都に創立された、公家(朝廷や朝廷に仕える人)を対象にした教育機関でした。

 

それだけ長い歴史を持つ学校なので、今まで様々な困難に見舞われたといいます。

 

たとえば昭和10年代になると戦争の影響が強くなりました。

 

そのため男子生徒には軍の訓練が行われ、女性生徒は勤労作業や武器を使う授業をする必要があり、勉強どころではなかったのです。

 

1944年には初等科と女子学習院の生徒たちの集団疎開が始まり、幼稚園は東京都に命じられて保育の中止に追い込まれています。

 

1945年には空襲により女子学習院が全焼しましたが、どうにか復興することに成功し、2015年4月時点では8796人の生徒を抱える学校に成長しました。

 

以上で大まかな学習院の大まかな歴史の説明は終わりです。

 

次の項目では徳仁親王の学者としての活躍について見ていきましょう。

 

令和天皇は大学院で歴史学(中世の交通史・流通史)を専攻した

 

徳仁親王は学習院大学を卒業後、学習院大学大学院文科学研究科博士前期課程に進学しています。

 

今までの皇族は生物学を中心とした自然科学を専攻する傾向にありました。

 

そのため、徳仁親王が専攻した人文科学・社会科学の分野は皇族としてはかなり珍しいそうです。

 

実際に徳仁親王は「徳仁親王」の名義で、『兵庫北関入舩納帳』の一考察:―問丸を中心にして―』という論文を執筆されていました。

 

そこで同論文の内容を一部だけ引用して紹介します。

 

東京大学文学部所蔵の「兵庫北関入舩納帳」は、中世の問丸について研究する際の基本的史料の一つである。周知のごとくこの史料は、瀬戸内海を航行する船舶が、文安二年(一四四五)正月・二月の間に、東大寺の領有する摂津国兵庫北関に納めた関税の巽で、十五世紀中頃の問丸の役割を知る上での好史料である。

出典:交通史研究

 

このように徳仁親王が交通史や流通史を専攻したきっかけは、幼少期に美智子皇后と赤坂御用地を散歩中に、石碑を発見したことにあります。

 

後に自らが出版した『テムズとともに』という本では次のように回想されています。

 

「そもそも私は、幼少の頃から交通の媒介となる「道」についてたいへん興味があった。ことに、外に出たくともままならない私の立場では、たとえ赤坂御用地の中を歩くにしても、道を通ることにより、今までまったく知らない世界に旅立つことができたわけである。私にとって、道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割を担っていたといえよう。」

出典:『テムズとともに-英国の二年間』(149~150ページ)

 

上記の回想を見る限り徳仁親王が道に興味を示したのは、ご自身に置かれた”皇族”という立場が深く関係していたことが分かります。

 

 やはり特別な環境に置かれた人物は、一般人と比べて考える視点や感じ方が異なるのかもしれませんね! 

 

まとめ

・徳仁親王は幼稚園から大学院まで学習院系列の学校に通っていていた。

 

・学習院はもともと幕末の京都に設立された公家の教育機関だった。

 

・徳仁親王は学習院大学大学院に進学し、中世の交通史や流通史を専攻している。

 

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最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます!

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