令和天皇の両親(父親・母親)の名前と経歴・略歴は?出会いや馴れ初めについても

※本来なら「令和天皇」の呼び方は不適切です。しかし、この記事では『令和時代の天皇』という意味で、便宜上「令和天皇」の呼称を用いています。

 

あなたは令和時代の新天皇となる、徳仁親王のご両親のお名前をご存知でしょうか?

 

平成時代は様々なニュースでそのお姿を見てきましたね。

 

どのような人物か見たことはあっても、お名前を思い出せない人もいると思います。

 

そこでこの記事では『徳仁親王のご両親のお名前や経歴・出会いや馴れ初めエピソード』について紹介していきます。

 

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令和天皇の父親の名前は明仁

徳仁親王の父親のお名前は明仁さまといいます。

 

以下に明仁親王の簡単なプロフィールを記載しているのでご確認ください。

 

【明仁親王のプロフィール】

名前:明仁あきひと

誕生日:1933年12月23日

年齢:85歳(2019年4月現在)

 

次の項目では明仁親王の経歴について見ていきましょう。

 

明仁親王の経歴・略歴について

 

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明仁親王は1933年12月23日に皇居内にある産殿でご誕生されています。

 

裕仁さま(昭和天皇)と良子さま(香淳皇后)の間に生まれました。

 

実は明仁親王には他に6人のご兄弟がおり、ご自身は長男で7人兄弟の5番目です。

 

お名前の「明仁」は昭和天皇が自ら命名し、その由来は明治天皇の命令が綴られた公文書『大教宣布』からです。

 

もちろん国民も多大な祝福をしています

 

どれだけ日本が沸き立ったかというと、北原白秋と中山晋平が『皇太子さまお生まれなつた』という歌まで作るほどです。

 

1936年3月29日には皇室の伝統によりわずか2歳で両親から離れ、東宮仮御所で傅育官と呼ばれる教育係に育てられました。

 

ただし完全に親元を離れたわけではなく、日曜日には両親と会える機会が設けられていたようです。

 

そして明人親王が13歳になった1946年10月から4年間。

 

昭和天皇の教育方針「西洋の思想と習慣を学ばせる」により、アメリカ人作家であるエリザベス・ヴァイニングさんを家庭教師につけていた経験もあります。

 

明仁親王が19歳になった1952年11月10日、皇居で立太子の礼という皇室儀礼が行われました。

 

これにより明仁親王は、1989年まで皇太子としてご公務を務められることになります。

 

令和天皇の母親の名前は美智子

徳仁さまの母親のお名前は美智子さまです。

 

以下に美智子さまの簡単なプロフィールがあるので、ご確認下さい。

 

【美智子さまのプロフィール】

名前:美智子みちこ

旧姓:正田しょうだ美智子

生年月日:1934年10月20日

年齢:84歳

 

それでは次の項目で美智子さまの経歴について見ていきましょう。

 

美智子皇后の経歴・略歴について

 

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美智子さまは1934年10月20日、日清製粉グループの会長を務めていた正田英三郎・富美子夫婦の長女として誕生されました。

 

誕生された病院は現在の東京都文京区東部にある、東京帝国大学医学部附属病院です。

 

小学生時代の美智子さまは、担任の先生によると

  • 真面目
  • 活発
  • 神経質
  • 負けん気が強い

な性格であったといいます。

 

さらにスポーツが得意で、他にも

  • ピアノ
  • 絵画
  • 料理
  • 香道

と数々の習い事を経験していた多彩な少女でした。

 

しかも中学生~高校生時代はトップクラスの成績を誇り、その後進学した聖心女子大学では首席で卒業するなど、まさに非の打ち所がない少女です。

 

ちなみに小学生時代はアメリカの子役であるシャーリー・テンプルのような天然パーマだったため、「テンプルちゃん」と呼ばれていたそうです。

 

他にも「ミッチ」「ミチ」と呼ばれることもありました。

 

美智子さまは大学生時代に

  1. 合唱部
  2. 英語劇クラブ
  3. テニス部

の3つのクラブに所属していました。

 

次の項目でも紹介していますが、テニスを始めたことが明仁親王と出会うきっかけになっています。

 

明仁親王と美智子皇后の出会いや馴れ初めエピソードについて

お二人の馴れ初めは1957年8月19日から始まります。

 

当時、明仁親王は避暑のため長野県軽井沢のテニストーナメント大会に出場しました。

 

そこで正田英三郎の長女である正田美智子さんと出会うのです。

 

その後もお二人の共通の趣味であるテニスを通して親交を深められました。

 

ですが、明仁親王が正田美智子さんとの結婚を考えていることが判明すると、皇室内外から相当な反対があったといいます。

 

理由は正田美智子さんが民間の出身だったからです。

 

当時は誰もが「皇太子の妃には旧皇族・旧華族から選ばれるのが当たり前」と思っていました。

 

そのため民間人である美智子さまがお妃候補になるとは、誰も予想していなかったのです。

 

昭和天皇の侍従長を務めていた入江相政氏は、自らが記した『入江相政日記』という日記で次のような書いています。

 

「東宮様のご縁談について平民からとは怪しからん」

出典:Wikipedia

 

上記の言葉を見るに皇太子が民間人と結婚するなど、まったく考えられなかった時代だったことが分かります。

 

しかし実際に結婚したことでご成婚までの道のりが報道され、国民からは多大な歓迎を受けたようです。

 

お二人のご成婚により『ミッチー・ブーム』という社会現象が起きています。

 

ちなみに、現在の私たちは当たり前のようにテレビを見ていますが、テレビが普及したのは『ミッチー・ブーム』の影響です。

 

このようにお二人のご結婚は経済やメディアなどに多大なる影響を与えました。

 

まとめ

・徳仁親王のお父さんのお名前は明仁である。

 

・徳仁親王のお母さんのお名前は美智子である。

 

・明仁親王と美智子さまの馴れ初めはテニスがきっかけだった。

 

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最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます!

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